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東京高等裁判所 昭和62年(ツ)27号 判決 1988年6月23日

上告人 藤田清

右訴訟代理人弁護士 武藤英男

被上告人 佐藤一男

右訴訟代理人弁護士 人見孔哉

主文

原判決を破棄する。

本件を水戸地方裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人の上告理由について

原判決は、(一)市郎は、昭和二九年三月ころ、同人宅に出入りしていた上告人に対し、市郎宅の仕事を手伝うことを前提に本件建物を他よりは安い賃料一か月金五〇〇円で賃貸し、以後値上げもなく、上告人は、昭和四九年八月まで約二〇年間にわたって平穏に本件建物に居住し、同所で時計ないし電器店を経営していたこと及び市郎と上告人との本件賃貸借契約は、期間の定めのない通常の賃貸借であることを適法に認定判断し、次いで、(二) 市郎は、酒の醸造業を営んでいたが、昭和三一年ころ大子町から大宮町に移転することになり、その際、醸造設備を移す資金に当てる必要から、小生瀬所在の土地、建物を当時借家人として居住していた被上告人、上告人、訴外小野瀬義男らに売却することとし、各自に売却の申込みをしたこと、右市郎が昭和三五年に死亡した後、相続人である良三は、昭和三六年に右被上告人らに賃貸していた建物の敷地を各賃借人に売却するため三筆に分筆し、そのうち被上告人及び右小野瀬の賃借部分については、そのころ、右両名に(いま一人の借家人富山某の賃借部分については、右小野瀬の賃借部分に合せて同人に)売却して売買代金の支払を受けたこと、(三) 上告人については、本件土地、建物を代金四四万四〇〇〇円で買い取る話が一応まとまっていたが、上告人は、月額金五〇〇円という相当賃料に比べて低額な賃料で本件建物及びその敷地を使用していたもので、右売買の話が一応まとまった後も、右賃料の支払を続け、「電気の特許がおりたら払う。」旨あるいは、「実家から出してもらう。」旨申し述べ、代金を支払うようなことを言い続けていたことから、良三から特に賃料を増額することもなく、荏苒時を過ごして昭和四九年九月ころにまで至ったこと、(四) 良三は、昭和四九年九月ころ、大宮町の良三宅において、茅根憲一が同席していた際、上告人に対し、「この話を始めてから大分長くなったので、あと六か月だけ待つから、それまでに代金が用意できて買うということになれば売るとして、できないのであれば話は打ち切るから来年の三月までに他に家を捜して立ち退いてくれ。」と申し向け(以下「本件申出」という。)、上告人は、これに対し、「分かった。」旨述べ特に異論を唱えなかったこと、(五) 上告人は、その後も、売買代金を支払おうとすることもなく、昭和五〇年五月ころに至り、良三の家を訪ねたが、その時、良三から、「約束の期限は切れたよ。あなたは買ってくれないから、家は佐藤に売るよ。」と言われたが、「ああそうかい。」と述べるのみで特に反論をせずに帰ったこと、を認定したうえ、以上の各事実を総合すれば、良三と上告人とは、昭和四九年九月ころ、上告人において六か月以内に売買代金(当初の話に出ていた金四四万四〇〇〇円の金額を維持されていたものと解される。)を提供する等、確実に契約を履行する手筈を整えて買受けを申し入れてこない限り、本件土地、建物の売買の話を打ち切って本件建物を明け渡し、本件賃貸借契約関係はいずれにせよ六か月後を期限として解消する旨を合意した(以下「本件期限付き合意解約」という。)ものと認めることができ、したがって、本件賃貸借契約は遅くとも昭和五〇年三月末をもって終了し、その間なんら積極的行為に出なかった上告人は、本件建物を明け渡さなければならなくなったものというべきである、と判示している。

しかしながら、右(二)ないし(五)の事実の認定が是認できるとしても、右の各事実を総合して本件期限付き合意解約の成立を認めた原審の判断は、たやすくこれを首肯することができない。その理由は次のとおりである。

すなわち、上告人は、良三から本件申出を受けるまでの約二〇年もの長い間、本件建物を居住と営業の場所として賃借使用し、昭和三六年に良三から本件建物とその敷地の売渡しの申出を受け、これを代金四四万四〇〇〇円で買い取る話が一応まとまってからも、確定的な売買契約の締結には応じないまま賃料の支払を続け、平穏に使用を継続してきたものであるところ、本件申出は、そのように契約の締結には至らなかった本件建物及びその敷地の売買(したがって、上告人には代金を支払う義務は生じていない。)に関し、右売買の話が出てから十数年も経て後、代金額の明示もないまま(原判決は、当初の話に出ていた額が維持されていたものと解される、と判示しているが、その話がなされた時から十数年も経過していることを考慮すると、当初の話に出ていた代金額が当然に維持されていたものと認めることは、困難である。)になされたものであるうえ、代金を支払えない場合には、売買契約を不成立に終らせるだけでなく、本件賃貸借契約を終了させるという、いわば、買えないのなら出て行け、という誠に一方的なものであり、しかも、それまでの間にそのような一方的な内容の申出がなされた形跡はないのであるから、このように、その内容自体が必ずしも明確でないうえ賃借人たる上告人にとって極めて苛酷なものである本件申出を上告人が承諾したというには、真実上告人が右申出を承諾する意思を有していると認めるに足りる合理的客観的理由の存することが必要であると解される。しかるに、上告人は、本件申出に対し、単に「分かった。」と述べ特に異論を唱えなかった、というに過ぎないのであり、「分かった。」の意味する内容も、単に申出の趣旨を理解したという意味に解されなくはなく、必ずしも一義的ではない。しかも、原判決の判示によれば、上告人は、本件申出を受けたころ、代金支払の期限とされた六か月以内に代金を調達することが可能であったか明らかでないばかりか、立退先の目途も全く有していなかったのであり、このような状況のもとで、上告人が、それまで二〇年もの長い間居住と営業の場所として使用してきた生活の本拠を一挙に失うことをも意味する本件申出に対する承諾をするということは、通常は考えられないことである。また、前記(五)の事実も、賃借人居住のまま建物が売買されることは十分にありうることであるから、右の事実が直ちに本件申出に対する承諾を意味するものともいえない。その他上告人が真実本件期限付き合意解約の意思を有していたと認めるに足りる合理的客観的理由は原判決の判示上は認められない。

以上によれば、前記の原審認定事実から直ちに本件期限付き合意解約の成立を認めた原判決には、経験則の適用を誤ったか又は審理不尽の違法があるものといわざるをえず、その違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件については、なお審理を尽くさせるため、これを原審に差し戻す必要がある。

よって、民訴法四〇七条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村岡二郎 裁判官 安達敬 鈴木敏之)

<以下省略>

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